

ロック史上最高のギタリスト ジミ・ヘンドリックス。
60年代後半のわずか4年間の活動で、ジミヘンのロックに対する 功績は計り知れない。ジミはギターを左で持っていたことからして当時としては特別だった。 そして、ジミはエレクトリック・ギターの可能性を無限大に広げた。
独自のハードなギター・プレイ、奇想天外な曲、
楽器破壊(ザ・フーが最初)など、ジミ・ヘンドリックスの登場は
衝撃を与えた。ジミのステージはエンターテイメント性に溢れ、
激しいギター・プレイは当時のどのギタリストとも比べることができなかった。
白人ロッカーが中心となってきた時代にも関わらず、
黒人ながら白人のキッズたちを夢中にし、ロック・スターとして
大暴れした。ジミは様々なミュージシャンと交流があり、
特にボブ・ディランが好きでディランの曲をカバーしている。
ウッドストックで弾いた”アメリカ国歌”は今でも伝説と
して語り継がれている。
ジミ・ヘンドリックスという人間に対しては、”天才”という評価よりも
”ワイルドな勇者”という表現が正しい。
ジミ・ヘンドリックスは1942年11月27日生まれ、
シアトル出身。黒人の軍人だった父と
遊び好きのネイティヴ・アメリカンの母の間に生まれる。
8歳の時に両親が離婚して父親に育てられ、
10代のころから音楽に携わり、リトル・リチャードや
マディ・ウォーターズなどに影響を受けた。
高校を辞めた後、窃盗の罪で逮捕され、
懲役と引き換えに軍隊に入隊。
そして、軍で問題児として振舞い、1年で除隊となる。
その後、バック・ミュージシャンなどをし、本格的に音楽活動を 始め、66年にアニマルズのチャス・チャンドラーに見出され、 イギリスに渡った。 そこで、数々の派手で独自のライヴ・パフォーマンスをし、好評を得た ジミ・ヘンドリックス(ボーカル、ギター)は、 ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラム)と共に トリオ・バンド”ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス” を結成。
67年、 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは デビュー・アルバム"アー・ユー・エクスペリエント?" をリリース。このアルバムとアルバム未収録のシングル "ヘイ・ジョー"と"紫のけむり"がヒットし、トップ・スター の仲間入りを果たした。 同年にアルバム"アクシス:ボールド・アズ・ラヴ"をリリース。 実験的な音づくりとパワフルなサウンドが一体している。 ジミはイギリスでの成功後、アメリカでも成功し、 その後はアメリカ中心で活動していく。 この年の夏には、モンタレー・ポップ・フェスティバル に出演し、ギターを燃やすなどの衝撃的なパフォーマンスで話題をさらった。
68年、
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは
アルバム"エレクトリック・レディランド"
をリリース。このアルバムはジミヘンの最高傑作と言われ、
ブルース、ジャズ、ソウル、ファンク、サイケデリックなどすべてを
ジミが独自にまとめ上げた、ロック史に残る金字塔。
ジミが影響を受けたアーティストであるボブ・ディランのカヴァー曲
も収録され、多数の全裸女性が映し出されたジャケットも話題と
なった。
そして、メンバー間の不仲やスケジュールの問題などで
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは解散する。
69年、 ジミ・ヘンドリックスは様々なメンバーを迎えて ”ジプシー・サンズ&レインボウズ”を結成。 7月には友人で共にロックの過激化を押し進めたブライアン・ジョーンズが死去。 ジミはブライアンに曲を捧げた。 8月、ウッドストック・フェスティバルにトリで 出演し圧巻のパフォーマンスを披露。しかし、バンドは長続きせず解散する。 ジミはビリー・コックス(ベース)、バディ・マイルス(ドラムス) とともに”バンド・オブ・ジプシーズ”を結成。
70年、
最後のアルバム"バンド・オブ・ジプシーズ"をリリース。
ジミらしいパワフルな内容となった。
そして、70年9月18日、ジミ・ヘンドリックスは急死した。
わずか27年の生涯だった。ロックンロール人生を満喫し、彼は死と共に伝説となった。